2011年度ドイツゲーム大賞の覚え書き

2011年、ドイツゲーム大賞はクゥワークル、エキスパート賞は世界の七不思議が受賞した。
誰もが思う事だが、ここにきてドイツゲーム大賞の傾向が変わってきているようだ。
ドイツ純正のゲームとして大賞を獲ったのは、2008年のケルトまで遡る。3年連続、外国産のゲームに大賞が与えられているばかりか、新たに創設したエキスパート賞にさえ外国産のゲームを選んだ。

ドイツ人はドイツテーストのゲームを嫌い始めたのだろうか? 自己を否定し始めたのだろうか?
2009年ドミニオンはアメリカ発祥のトレーディングカードゲームを進化させたゲームだった。
2010年ディクシットは大賞初のコミュニケーションゲームとなった。
近年、石を投げたらドミニオンクローンに当たる時代から、猫も杓子もコミュニケーションゲームという時代となっている。大賞が先か、流行が先か、という話は置いといて、これはゲーム大賞が果たした役割が如何に大きいかを物語る好例だろう。

何年か前、カサソラが末期的症状と言ったようにドイツゲームは行き詰まりを感じていた。どれもこれもシステムに大きな変化はなく、焼き直しや改善だけを行いテーマを変えて新しいゲームですよと発売していたように思う。有名ゲームのサイコロ化もそのひとつだろう。
完全にドイツゲームは進化の袋小路に陥ってしまったのだ。このままでは衰退することが目に見えていた。

それを察知した大賞の審査員は、新しい風を通そうと、エキスパート賞の創設など今まで培っていた物すべてをぶっ壊して、ことごとく外国産の新しいタイプのゲームに大賞を授与した。今年、アサラが獲らなければドイツテーストは飽きられてしまったのだろうと書いた、その通り、アサラは受賞することが出来なかった。アサラほどドイツゲームのシステムを凝縮したタイプも珍しい。まさにモデルケースそのものである。そしてメーカーも自国ドイツの老舗ラベンスバーガーであった。
これに審査員は『ノー』を突きつけたのだった。

またエキスパート賞に関しても、旧態依然としたストラスブールなどには目もくれず、世界の七不思議にぽんと与えてしまった。世界の七不思議のブースタードラフトが新しいかどうかは抜きにして、確かに今までドイツゲームになかったゲームであることは間違いない。

この傾向がいつまで続くか解らないが、ドイツゲームは更なる進化を求めて外部の血を採りいれ始めた。行き詰まりは完全に過去のものとなった。今後、こういったものを融合した新しい形のシステムがきっと出てくる事だろう。その時、ドイツゲームは更なる進化をする事になる。審査員には、ただただ驚嘆するばかりだ。

私事だが、最近、あまりゲームを買わなくなった。その理由の第一は欲しいゲームがない、だ。欲しいゲームがないというのはこういったサイトを運営していくには致命的だ。確かに最近のゲームはどれもこれもまとまりがあって面白い。でも、どれもどこかで見たようなシステム、プレイ感で、別にこれじゃなくても…と思う事が多々あった。
ただしボードゲームはシステムはまったく同じでも、絵柄やコンポーネントが違えば欲しくなるというコレクター魂を触発する。それすらも第二の問題である棚に置くスペースが無くなってきた事で買う余裕が無くなってきている。

※裏を返せば、新しくボードゲームを趣味にする人にとっては、全てが新鮮で質が高いゲームを味わえるのだから傾向としては悪くないのかもしれない。

日本の同人ゲームもレベルが上がっておりと書いたが、これまたドイツゲームのシステム構造さえ理解しさえすれば、後は簡単に手を入れるだけで質の高いゲームができあがるとなった所為だ。それに最近、気づいた。今、日本のデザイナーで真にオリジナルティ溢れる質の高いゲームを作れるのは川崎さんと本間さんくらいだろうと思ってる。同人ゲームも面白ければそれでいいという時期は過ぎ、次のステージに移らなければならないと思う。

願わくばもう一度、ドイツゲームに初めて触れた頃のワクワクを味わってみたい。買いたいものがいっぱいありすぎて困るという状態に戻ってみたい。そのために、近年のドイツゲーム大賞の受賞方針には大いに賛同したい。しかしよくよく考えてみれば、ドイツゲーム大賞の基準に新規性というのがあった。ただ、今回大賞のクゥワークルは初出が2006年なので5年前、ディクシットも1年前が初出だ。それを考えると、やはりドイツゲームのシステムをぶっ壊して新しいものを取り入れようという審査員の意図が見え隠れするようだ。

まとまりがない文章で申し訳なし。ふと、書きたくなった台風前夜。

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