ボードゲームとは?

知合いからボードゲームについて解りやすく書いて欲しいという要望があった。確かにこのHPはゲームをある程度知ってる人がターゲットになっている。またここは新しくゲームを始める人の訪問が意外と多いという事もあって、ちょっくらボードゲームとはどういうものかを書いてみようと思う。

そんなかったるいのは嫌だという方はこちらの初心者へお勧めゲームをどうぞ。

最近、各企業がちょこちょこ様子を見ながらボードゲームの流行をチェックしている。もう既に終った、そんな感があるボードゲームに今更何故? と思う人も多いと思う。

昔、頭に”ボード”なんて付けなくてもゲーム=ボードゲーム(もしくはカードゲーム)であった。少々マニアックな話ではあるがRPG=テーブルトークロールプレイングと同じである。しかしファミコンの登場により、ゲームの本質は変わっていった。

ファミコンの大ヒットにより、ゲーム=テレビゲームとなってしまった。また世界にもその波は広がっていった。ところが1980年代日本がテレビゲームの発展に力を注いでいたかどで、既に終ったボードゲームに力を注ぎ発展させていった国があった。ドイツである。

そもそもゲームはアメリカから発展した。小さい頃にやった人生ゲーム、モノポリーといったゲームはアメリカのゲームである。ゲームをやった事がない人でも名前くらいは知っているだろう。

そしてアメリカのボードゲームのノウハウがドイツに流入し、ドイツはファミコンの裏側でこれを独自の文化として開花させたのだ。逆に日本ではそのノウハウを活かし、発展させる事は出来なかったとも言える。同じだけ流れてきたのだから。結果的にテレビゲームは大流行し、ボードゲームは衰退した。日本の選択は正しかったのだ。

ところが、ファミコン、スーパーファミコン、プレイステーション、プレイステーション2とゲーム機が発達していくうちに、テレビゲームは益々複雑になり、それにより生産コストが増大していき、チャレンジングなゲームが出しにくい状況となってしまった。テレビゲームは、一人のデザイナーの時代からスタジオシステムへ移行してしまったのだった。

まるでハリウッド映画である。ハリウッド映画は、監督が何かを撮りたい、脚本家が何かを描きたい、といったところからスタートするのではなく、大衆が何を求めるかリサーチして、それによってどんな映画を撮るかを決め、使えそうな監督、脚本、配役を決めるのだ。最近の凄いグラフィックのテレビゲームを見ると、映画の世界を目指しているというのは明らかなので、同じような現象になるのは当たり前であろう。ハリウッド映画は世界的に成功しているが、テレビゲームはどうだろう? 少しずつ飽きられてきているのではないだろうか。それは大幅に売り上げが落ち込んできている事からも解る。原因として(これは私感だが)ゲームというのはある一人のデザイナーの閃きが全てを左右していると思う。その天才的な閃きが、スタジオシステムへ移行する事によって埋もれてしまったと考える。同じものの再生産ではいつか飽きられる日がくるのは当然だろう。

それとは逆にボードゲームは一人の才能が、(ファミコン時代と同じく)そのゲームの出来不出来を左右する世界である。それを最も解りやすく表現しているのは、制作者名が箱に必ず表記されている事だろう。

今日のドイツゲームを語る上で絶対に忘れてはならないもののひとつに、ドイツゲーム大賞があげられる。これはゲーム業界、マスコミ界の権威ある有志が集まって作った賞で、英語で言うとゲームオブザイヤーである。ドイツゲーム大賞のおかげで、ドイツゲームはテレビゲームの脅威にも関わらず生き残る事が出来たといって過言ではない。詳しくはドイツゲーム大賞のコンテンツに譲るが、ゲームのアカデミー賞だと思ってくれて間違いない。

かくして、ドイツゲームはひとつの文化となったのだ。あのゲーム先進国アメリカでさえ今はドイツゲームを輸入するに至っている。

何故ドイツゲームはテレビゲーム全盛の時代に文化となりえたのか。ゲームを知らない人は「サイコロ次第やん」と思う事だろう。やってみれば解るが、ドイツゲームで人生ゲームのようにサイコロ、ルーレットだけで勝敗が決まる、いわゆる運だけというゲームはかなり少ない。戦略や戦術を立てる事が出来るのである。つまり強い人は強い。そして将棋やチェスのように強い人がいつも勝つという訳でもない。運と実力が程よくミックスされており、初心者でも勝つ事が出来るようになっている。何度も戦えば勝率が高い人が出来るという感じである。また人生ゲーム、黒ひげ危機一髪、UNOなど有名な運だけのゲームは、パーティー系と呼び、やってすぐ次の日に再戦したいと思う人は(子供以外)まずいないだろう。だがドイツゲームはすぐにでもやりたいと思うのだ。勝った人には満足感を、負けた人には負けた原因を次に活かしたいと思わせる何かがある。

ドイツゲームが最も成功した理由のひとつはシステムによってプレイヤーがしっかりと保護され安心して遊べるという事がある。例えばモノポリーに代表されるようなアメリカのボードゲームは、一度差がつきだすとどうしようもなくなる。ある程度、定石を知っていないとダメなのだ。ところが、ドイツゲームは初見のプレイヤーでもいきなりゲームの本質をつかんで楽しめるようにシステムが出来上がっている。差がどんどん広がって打つ手なしなんて事はなく、頑張れば勝てるチャンスを見いだせるように調整されているのだ。少々無茶をしてもゲームは破綻しない。モノポリーなんか、誰かが無茶をした時点でゲームはすべて破綻する。
悪く言えばそのシステムのガチガチさのせいで連続して遊ぶと飽きが来るかも知れない。しかし、何度も何度もやって到達する楽しさの域をあっという間に導いてくれるのだから、その優秀さは他のゲームと比べるまでもない。例えば麻雀なんかは役満で上がるのに百回はしなくてはならないだろう。異常に確率を低くしてそれを当てた時の喜びを倍増させるという手を使い、そこに至る至らないなど尾ひれ背びれの物語ができあがる。出現率を低くしたレアアイテムを引き当てた時の感覚とまったく変わらない。単純な仕掛けなのだが射幸心と相まってギャンブルゲームとしては大成功を収めている。
それとは違いドイツゲームは調整によって意図的にやりこみ要素を減じた。ギャンブルでないので百回やらないと出てこない組み合わせなど無意味である。それよりもたった1回やっただけで誰もが「楽しかった!」と思わせるようにシステムが構築されている。
何十回と連続してやると飽きるかも知れないと書いたが、いくつかのゲームをローテーションさせてやれば、間違いなくずっと楽しく遊べる。これは昔からドイツゲームを紹介してきた安田均の言葉である。まったくその通りだと思う。

そしてもうひとつ、コンポーネンツの素晴らしさがあげられる。人生ゲームにしろ、モノポリーにしろ、箱を開けて欲しい。そこにあるのは環境に悪い塩化ビニールで出来た駒である。ところがドイツゲームは違う。ほとんどが木製の駒なのである。木製の駒の質感というのは、手にどれほど馴染むか、一度手にとってみれば解る。木と紙、それだけで出来てるのが、ドイツゲームなのだ。ここにドイツ人の誇りの高さが伺える。百円ショップがドイツに出来たとしてもすぐに業務不振に陥るだろう。いくら安くても環境に悪いものをドイツ人は決して買わないのだ。なんという民族意識の高さであろうか。私なぞはここに惚れこんでこのHPを立ち上げたくらいなのである。

一度手にとって欲しい。きっとコミニュケーションツールとしての素晴らしさ、本物を持つ喜び、デザイナーの意志がダイレクトに伝わるドイツゲームに惚れ込む事であろう。

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